8.32
去年の夏の終わり、来年は8月32日を生きようと思ってた
8月32日とは、生きた感覚がなかった去年のいつかの夏の日のことで、ずっと行きたいと思っていた場所で好きなように1日を過ごすとわたしが決めた日。
自由に行きたいところへ行くことはこれからのわたしの残りの人生の中で消化したい目標のひとつ。
世界的に流行しているものもあって果たしてそれは今年叶うのだろうかといったところではあるけれど、
自分のなかでひとつのけじめ、みたいなことでもあった。
わたしは夏が嫌いではやく終わってほしいといつも願っているのだけど、どう思い返しても去年は夏がなかった。
たかだかひとつの恋がだめになったことくらいでこれほどまでに季節を感じる余裕がなくなるとは思いもしなかったし、想像を超えるスピードでまいにちが過ぎた。
起きて、仕事をして、すこし泣いて、また眠る。
外が暑すぎるとか葉は青いとか空が高いとかそんなことどうでもよかったし、なにも感じられない、なにも覚えていない夏だった。
そんな夏をこえて秋も冬も春も過ぎて
今また夏が終わろうとしている。
そしてわたしはもうすぐちゃんとひとりになる。
離婚というゴールが見えた今になって自分の気持ちがよくわからないでいる。
見えないときはただひたすら感覚の先にある光だけをたよりにがむしゃらに前を向いてきたけれど、
いざゴール目前にしてわたしはその光のゆく先を見失っている気がする。
見失っているというよりそれは自分が作り上げてきた幻想みたいなものだったから、そもそも光なんて初めからなかったのだとしても、いざスタートラインに立てるかもしれないという所まできて足が竦んでしまっていることに気づいてしまった。
過ぎたことにせよ、あのとき伝えたくても伝えられなかったことがあるのは確かだし、全て終わったときに感じた気持ちを素直に伝えることを目標のひとつにもしてきた。
けれど空白の期間があったということは変わらない事実で、それを踏まえた上で今更なにを伝えにいくのか。
好きすぎたことがここにきてまた仇になっているかもしれない。
彼の望んだ世界が彼の中で今既に存在しているなら、わたしはわざわざ踏み込むべきではないのかもしれない。
彼の未来は彼が選択することであったとしても、今ある平穏を崩しかねない。
そこに不純物を今更混ぜていいものなのか。
彼には彼の人生がある。
ひとつクリアすればまたひとつと、次々に選択肢はでてくる。
人生ってたぶんそれの連続だ。
もうずっと前に
「 選択肢はほんとうにたくさんあるけれどその選択が正しいかどうかわからない。」 と彼は言った。
それに対して
「 きっとそのときに選択したことが正しい。
間違ってたと思えばまたそのとき選べばいいの。 」 とわたしは答えた。
彼と知り合っていくつかの選択をお互いしてきたし、そのとき選んだことが間違っていたとはひとつも思わないしその選択がなければ今のわたしは存在しない。
そして今、またわたしはたくさんの選択肢の中で迷っている。
あのころと状況は変わった。
もうわたしは自由だし、ずっとずっと自由になりたかった。
あれほど望んだ自由だった。
でも、わたしは次なにを選べばいいのかわからない。
ただしいことがわからない。
誰の所為にもなんの所為にもできない。
自分だけのことを考えたら答えはひとつだれど、たぶん恋愛ってそんな簡単なことじゃない。大人になればなるほど余計に。
相手を思うからこそ伝えない方がいい気持ちってもしかしたらあるのかもしれない。
けれど。
気持ちに蓋をすることが、素直な気持ちを見ないようにすることが、果たしてわたしの望んでいた自由なのだろうか。
今まで我慢の多い人生だった。
また、わたし我慢しようとしているの?
とても揺れている。
2度もなくす覚悟をしてでも伝えるべきことなのか。
もう傷つきたくないし失いたくない。
伝えないことは自分を守ることにもなるのではないかなとも思うけれど、自分の気持ちに嘘はつきたくないなとも思う。
気持ちの切り替えがもっと器用にできるようならこんなことをわざわざブログに書いたりしない。
時間が解決してくれる、そんな風にいえるのは残りの人生の選択がたくさんある人だけ。
わたしには時間がもうあまりない。
もし、今年中どこかで8月32日を過ごせたら。
目標をまたひとつクリアすることができたら、
今とは違ったものや選択肢が見えてくるのかなぁ。
とここまで書いててわたしはたぶん真面目すぎるんだろうな。
こんな風に思っているのは自分だけだとおもうし、実質32日って今日じゃん。
現実的に無理笑
もっと気楽に生きられたらいいのに。
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