すきなひとのこと。
最初から叶わないことだったんだ。
最後の言葉が頭をぐるぐるまわっている。
どれだけ言葉を重ねてもうまく交われなかった。
会いたいねと言えば会いたいねと返ってくるし、好きだよと言われれば大好きだよと返す。
普通の恋人同士なら当たり前のような日常のことだったかもしれない。
遠く離れた街で暮らす彼を好きになるのに時間はかからなくて理由などなかった。
好きという気持ちだけで成り立っていた。
でもそれだけしかなかった。
伝えても伝えてもうまく伝えきれず、相手を好きになりすぎて最後は全部壊れた。
わたしと彼は、世間一般でいう''恋人"や"いい感じの人"と分類される人達とは少し違っていた。
関係に形や名前がなかった。
そしてお互いの顔を知らなかった。
好きな人の目も好きな人の目に映る世界も見たことがなかった。
それでもまっすぐだった、ただただ好きだった。
毎日連絡をとるようになってわたしはたくさんの写真を撮るようになった。
買ったものや食べたもの、自分のすきなものや行きたい場所のスクリーンショットを撮っては彼に送った。
彼も同じようにたくさん写真を送ってくれた。
同じものを食べたり、彼がすきなものを真似してたくさん好きになった。
わたしのことをたくさんわかってもらいたかったし彼のことをいちばんに知りたかったし、
なにより物理的な距離を埋めるためにはこれくらいのことしか出来なかったのだと思う。
わたしたちは話す時間も限られていたので、世界が寝静まった静かな夜に毛布にくるまりながらひそひそと話をしたりした。
耳に届く優しい声は、いつもわたしの胸を踊らせるので心臓の音が聞こえてしまわないか心配だった。
たった5分でもいいから声を聞いていたかった。
「 おやすみ、また後でね 」
の一言が聞きたくて夜じゅう眠い目を擦っては、朝目が覚めたと同時におはようとひとこと送る。
返事を待つ1秒1秒はとても愛おしくて、色んな複雑な思いがつまった2文字に涙や気持ちがこぼれない日はなかった。
寝ても覚めても生活全部彼でいっぱいなことがとても幸せで、でもいつも少しだけ苦しかった。
気持ちはどんどん大きくなる一方なのにすぐに会えない距離が辛かった。
約束にもなれないような約束だけが増えていった。
お互いの目を見て話したいと言った彼の心は世界でいちばん近くにあったし、涙の音に完璧な嘘などなかったと思う。
なのにわたしは拭って掬ってあげることが出来ない。
名前を呼ぶ声を抱きしめてもらうことも出来ない。
会いたいのに会えない。
約束が果たされる日は一向に来なかった。
わたしはだんだん気持ちのバランスがとれなくなっていった。
でも多分お互いがそうだったのかなと今は思う。
ほんとうは会えないほどの距離じゃない。
外国にいるわけでもないし宇宙から交信しているわけでもない。
今すぐに飛んでいきたいと思う夜が数え切れないくらいたくさんあった。
でも越えられなかった。
越えてはいけないと彼は言った。
わたしは結婚している。
距離に負けたと思った。
100の言葉も1度の逢瀬に勝てない。
でもそのたった1度が今ある全てを変えてしまうことをわたしも彼もわかっていた。
それは最初から叶わないことだった。
わたしがずっと見たかったものは彼の目に映る冬の澄んだ空の色だったし、いちばんに見せたかったものはわたしの目から溢れだす大粒の気持ちで、
指の先から全て伝わってしまいそうな感覚とか体温や、特別な空気の匂いをふたりで共有することができないまま静かに恋は消えた。
言葉だけの恋には限界があったし、暗い夜を飛び越えられるほどの勇気と覚悟がふたりにはなかった。
厳密にいうと彼の方が頑なに越えようとしなかった。
わたしよりもずいぶん歳下なのに幾分も大人で
最後までずっと幻みたいな人だった。
色んな形の恋愛のゴシップが溢れかえっているこんなご時世でも、一線を越えられずにだめになってしまうふたりもいる。
大人の恋愛は初めから叶わないことの方が多い、その意味が初めてわかった。
どうしようもないことをどうしようもないと嘆くことがいとも容易く出来てしまうことがとてもくやしかった。
触れて始まる恋より最後まで触れられずに終わった恋はとても辛くいつまでも忘れられない。
気持ちは確かに存在するけれど気持ちだけではどうにもならない。
彼の世界に1度でもわたしを映してほしかった。
それだけだったのに。
それでも叶えてはいけなかった。
現実はそんな甘いものばかりではないことを知ったし、恋愛の残酷さをこの歳にして初めて知った。
1年ほどがたち、彼とは疎遠になりわたしは同時に離婚を決意した。
側にはもう誰もいない。
それでも相変わらずフォルダには少しずつ写真が増えていく。
変えなければいけないものや変わるべきものはたくさんあるけれど、変われないものがひとつくらいはあってもいい。
そう思うからなんとなくずっと撮り続けているし、なにより世界はどんなときでも目の前に存在している。
彼と連絡を取りあう毎日が当たり前だったように、写真を撮ることはわたしの中でルーティンワークのひとつようなものになって残っている。
見せたいと思うものはいつだってわたしの目に映った世界の端々だ。
変わることができないものに絶望しながらもこれからひとりで歩いていかなければいけないけれど、その絶望の中にわずかな希望をもつことくらい神様だって許してくれるはずだと思う。
たとえばそれが死ぬまで報われなくても。
今、わたしの背中を押しているのは世界を見せたい人がいるという事実だけ。
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